2008年12月03日
学生時代の話。
年賀状の準備で昨年のを見ていた時に、大学2年の時一緒に自転車で
メゲメゲの旅行を一緒にした名古屋の友人のをみて思い出を蘇らせた。
大学は別なところ。彼とは行きつけの自転車ショップを通じての知り合いだった。
親交が深いわけではなかったがお互い夏休みに旅をしようなんて事を言い出して
一緒に出かけたのだ。自転車は今では考えられないような重装備車でサイドバックとか
フロントバックとか付けていて持ち上げられないほどの重さでした。
そんな自転車に今仮に乗ったとすると一瞬で腰をいわしてしまうでしょうね。
まっとりあえず重装備自転車で彼と八尾の藤見サイクルショップで待ち合わせをして
出発。暑い夏に出かけました。あちきは柏原市にすんでいたので集合場所まで10kmほど。
おもてえなあ~なんて思いながら走り、落ち合って旅立ちました。
彦根の松原水泳場が1泊目の野宿場所でした。犬ににおいをかかれて、彼が驚きのあまり
寝袋から吹っ飛んでいました。朝方に♪
1泊目は琵琶湖湖畔。2泊目は東尋坊でした。後は記憶にありません。新潟まで何日か掛かって
辿りついたと思います。親知らず子知らずの海岸線道路は起伏も道幅も厳しくてかなりへこまされたと
記憶しております。その後、新潟市街地からフェリーで北海道に渡りました。おおっ♪
***
ナチュログの中央部分が消えていましたが、復旧したようで良かった♪
***
さて、なんせ大昔の話だから忘れてる事だらけだと思うけど
記憶に残っていることだけ成り行きゆえ、書いていきます。
若さ故、おりゃー、うりゃーとあほほど重い自転車をゆさゆささせて進んでいきました。
雨に降られてびしょぬれになったり、関節が痛んで苦しかったり、海岸段丘の
アップダウンにうんざりしたりして疲労困憊。もうあかんって感じで新潟に着いたんです。
旅に出る前は東北地方へ行こうって事でした。休憩を取りたくなって北海道への
フェリーに逃げたのです。当時どのくらいの時間で小樽に渡ったのか記憶にはありませんが、
船内のお風呂に入ってのんびり休めたとおもいます。多分。記憶にないけど。
そしてほっかいど~!!でっかいなあ~!! そして・・・・。激さむい!!!~~
石狩平野をもくもくと走り、途中で茹とうきびを何度も食べました♪
おいし~!!♪茹でじゃがバターもおいしかったかな?忘れた。
途中北海道の西北側海岸線はダートでした。重装備の自転車にダートの
アップダウンロードはきつすぎる。へろへろへ~・・・。
食パン1斤とマヨネーズを主食に生きていました。当時はコンビニなんてものは
存在していなかった時代です。旅の宿はバス停です。夕方便がないので我が家の様に
使いました。当時自炊道具は持っていませんでした。と思う。なにかを買って何かを
食べる生活でした。そして最もきつかった事は防寒の服装が無かった事でした。
北海道に渡るなんて事は考えていなかったから持ってきていませんでした。
毎晩、寒さに震え、バス亭で寝ていました。
稚内の南に天塩という町があります。ここまでの海岸沿いの道も当時は
ダートで疲労困憊でした。天塩のバス停で寝る前に小学生の少年と
サッカーで遊んでいて強く当たってしまい、お互いがびっくりしたことは
よく覚えています。大学生が子供と接触して怪我をさせそうになった!
そんな感じでした。少しして何もなくて良かったんですけど、こわかったです。
次の日は稚内の近くの納沙布岬だったかな?そこで初めてうに丼を食べました。
ぷあ~な大学生は日々食パン+マヨネーズで燃料補給をして走ってきたのです。
ここまでこれてお祝いって感じでした。たしか¥2000だったと思います。
旨かったかどうかは記憶にありません。独特なニオイが当時のあちきの
味覚にいい感情を与えたのか否か?判りません。
***続く*** ここまではまだ普通に生きてるでしょ。この先は違うのよね~・・・。
メゲメゲの旅行を一緒にした名古屋の友人のをみて思い出を蘇らせた。
大学は別なところ。彼とは行きつけの自転車ショップを通じての知り合いだった。
親交が深いわけではなかったがお互い夏休みに旅をしようなんて事を言い出して
一緒に出かけたのだ。自転車は今では考えられないような重装備車でサイドバックとか
フロントバックとか付けていて持ち上げられないほどの重さでした。
そんな自転車に今仮に乗ったとすると一瞬で腰をいわしてしまうでしょうね。
まっとりあえず重装備自転車で彼と八尾の藤見サイクルショップで待ち合わせをして
出発。暑い夏に出かけました。あちきは柏原市にすんでいたので集合場所まで10kmほど。
おもてえなあ~なんて思いながら走り、落ち合って旅立ちました。
彦根の松原水泳場が1泊目の野宿場所でした。犬ににおいをかかれて、彼が驚きのあまり
寝袋から吹っ飛んでいました。朝方に♪
1泊目は琵琶湖湖畔。2泊目は東尋坊でした。後は記憶にありません。新潟まで何日か掛かって
辿りついたと思います。親知らず子知らずの海岸線道路は起伏も道幅も厳しくてかなりへこまされたと
記憶しております。その後、新潟市街地からフェリーで北海道に渡りました。おおっ♪
***
ナチュログの中央部分が消えていましたが、復旧したようで良かった♪
***
さて、なんせ大昔の話だから忘れてる事だらけだと思うけど
記憶に残っていることだけ成り行きゆえ、書いていきます。
若さ故、おりゃー、うりゃーとあほほど重い自転車をゆさゆささせて進んでいきました。
雨に降られてびしょぬれになったり、関節が痛んで苦しかったり、海岸段丘の
アップダウンにうんざりしたりして疲労困憊。もうあかんって感じで新潟に着いたんです。
旅に出る前は東北地方へ行こうって事でした。休憩を取りたくなって北海道への
フェリーに逃げたのです。当時どのくらいの時間で小樽に渡ったのか記憶にはありませんが、
船内のお風呂に入ってのんびり休めたとおもいます。多分。記憶にないけど。
そしてほっかいど~!!でっかいなあ~!! そして・・・・。激さむい!!!~~
石狩平野をもくもくと走り、途中で茹とうきびを何度も食べました♪
おいし~!!♪茹でじゃがバターもおいしかったかな?忘れた。
途中北海道の西北側海岸線はダートでした。重装備の自転車にダートの
アップダウンロードはきつすぎる。へろへろへ~・・・。
食パン1斤とマヨネーズを主食に生きていました。当時はコンビニなんてものは
存在していなかった時代です。旅の宿はバス停です。夕方便がないので我が家の様に
使いました。当時自炊道具は持っていませんでした。と思う。なにかを買って何かを
食べる生活でした。そして最もきつかった事は防寒の服装が無かった事でした。
北海道に渡るなんて事は考えていなかったから持ってきていませんでした。
毎晩、寒さに震え、バス亭で寝ていました。
稚内の南に天塩という町があります。ここまでの海岸沿いの道も当時は
ダートで疲労困憊でした。天塩のバス停で寝る前に小学生の少年と
サッカーで遊んでいて強く当たってしまい、お互いがびっくりしたことは
よく覚えています。大学生が子供と接触して怪我をさせそうになった!
そんな感じでした。少しして何もなくて良かったんですけど、こわかったです。
次の日は稚内の近くの納沙布岬だったかな?そこで初めてうに丼を食べました。
ぷあ~な大学生は日々食パン+マヨネーズで燃料補給をして走ってきたのです。
ここまでこれてお祝いって感じでした。たしか¥2000だったと思います。
旨かったかどうかは記憶にありません。独特なニオイが当時のあちきの
味覚にいい感情を与えたのか否か?判りません。
***続く*** ここまではまだ普通に生きてるでしょ。この先は違うのよね~・・・。
Posted by たーぼう(次郎) at 02:04│Comments(2)
│自転車
この記事へのコメント
何だか…思い出って良いね〜^^ たーぼうさん、北海道まで行ったんなら、東京まで来れない事ないべ( ̄ー ̄)
Posted by 黒 at 2008年12月03日 14:21
多分、箱根の関を越えられない気がします。
大昔、24時間テレビで自転車仲間のうちの
一人のメンバーが大阪の日本橋から東京の
日本橋まで24時間以内に走るというのに出て、リタイヤしたんです。遠いですよねえ~
σ(^-^)黒さんならノンちゃんを載せて、
電アシで給電しながらこれるかも☆
大昔、24時間テレビで自転車仲間のうちの
一人のメンバーが大阪の日本橋から東京の
日本橋まで24時間以内に走るというのに出て、リタイヤしたんです。遠いですよねえ~
σ(^-^)黒さんならノンちゃんを載せて、
電アシで給電しながらこれるかも☆
Posted by たーぼう(次郎) at 2008年12月03日 14:29